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おかあちゃんに逢いたい [ふたりぽっち序章2]

今思えば父の再婚でショックを受けていたのは
姉と私だけではなく、義妹の富佐子にとっても大変な事だったでしょう。
父は優しい人でしたが、子供とはあまりコミニュケーションを取れる
タイプじゃなかったので、義妹も父を「おんちゃん」と呼んでいました。
父が晩年になる頃には「じいちゃん」と呼んでいましたが
富佐子にとってもきっと、受け入れがたい再婚だったと思います。
子連れ同士の結婚は難しいと言われるのは事実です。

夏休みになって、私は父に毎日毎日「おかあちゃんに逢いたい」と
言い続けていました。
姉も同じように逢いたいと言って二人で父を困らせていました。
母は弟が生まれてから子育てで忙しく、福島に来ることはありませんでした。
堪りかねた父は、母に連絡を取ってくれて母に逢える事になったのです。
夏休みの間に姉と二人で母の居る東京に行く事になりました。
東京に向かう電車の中では、母に逢える喜びで胸がいっぱいでした。

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上野駅に着くと、母の夫(パパと呼んでいた人)が迎えに来ていました。
「おぉ~よく来たな、おかあちゃんが待ってるぞ」と優しい笑顔で
話しかけてくれました。
姉は「どうもすみません」と緊張した口調で挨拶をしていましたが
私はニコニコ笑顔で「ありがとう」と答えていました。

母の居るアパートに着きました。
以前私と一緒に住んでいた部屋から引っ越して
6畳と4畳半の二間があるアパートです。
お風呂が付いていたので、銭湯に行かずにすみそうです。
母は、笑顔で迎えてくれました。
おやつに作っておいてくれたドーナツがとてもおいしかった。
「やっぱりおかあちゃんは最高だ!」私は心の中で何度も呟きました。

突然の訪問者 [ふたりぽっち序章2]

小学校生活にも慣れてきた土曜の午後
4時間授業が終わり帰宅すると
父の部屋(応接間と呼んでいました)に誰かが寝ていました。
あれ?
ベットから出ている手に母と同じオパールの指輪が・・・。
「おかあちゃん!」と思わず声をかけました。
起き上がったその人は、母とは似ても似つかない別人でした。
「あら、もう帰ってきたの?」と言ってばつが悪そうに
下着姿の胸元を隠していたその人が後日、私より2歳年下の女の子を
連れて義母として家に住む事になったのです。

その人、義母は隣町で居酒屋を開いていました。
父と知り合った経路は知りませんが、母が居る頃からの
付き合いだった様です。
父は義母の娘を養女とし、再婚したのです。
私が小学校2年生の6月の頃でした。

姉は中学生になっていました。
ちょうど思春期に入った頃で、幼い私には何も解らなかったのですが
父が大好きだった姉には、再婚はかなりショックな出来事だったらしく
義母と話をする事も敬遠していて、いつも自分の部屋に閉じこもる様に
なっていました。
かという私も、義母が大嫌いでした。
容姿が悪く、特にひどいO脚で後ろから見るとまるでガマガエル。
綺麗だった母とは月とすっぽんなその人を義母とは認められず
「おばちゃん」と呼んでいた私でした。


流れ行く月日の中で [ふたりぽっち序章2]

私は、母と別れて父と姉がいる福島へ戻ってきました。
姉は離れていた3年強の間に、凄く大人びた感じになり
とても頼れる存在になっていました。
まるで母のように私を気遣い、寂しさを忘れさせてくれました。
それでも夜になると、母に会いたくなるのは6歳の子にとっては
当たり前のことだと思います。
母を思い、布団の中でよく泣きました。

父は、私の小学校の入学準備品を買い揃えていてくれました。
赤いランドセルを見たときにとても嬉しかったのを覚えています。
入学式には東京から母も来てくれて、私の小学校生活が始まりました。
姉も6年生になり、二人そろって登校していたので何の不安も無く
学校生活をスタートできました。

秋になり、母が出産のために帰ってきました。

隣の町に祖母が引っ越してきていたのです。
私は寂しくなると、いつも祖母の所へ遊びに行っていました。
祖母は樺太(現在のサハリン)育ちです。元々は北海道の旭川に居たのですが
戦時中のゴタゴタで樺太へ行ったようです。そのせいか母も少しだけロシア語を話せます。

祖父は本土に戻ってから神主をしていましたが、52歳で脳溢血のため亡くなりました。
私が生まれる前の事なので、祖父は写真でしか見たことがないです。

母は11人兄弟です。今の少子化時代からは考えられない数です。
子供のころは貧乏で嫌だったといつも話していた母ですが、
祖母は偉い人です。再婚もせずに11人の子供を育てあげた母親の鏡ですね!

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祖母が何をして稼いでいたかというと、それが微妙な話でよくわからない部分があるのですが
拝み屋をしていたと言うんです。今で言ったら占い師みたいなことなのかな?
まるで細木和子さんのようです。その他、針灸の資格も持っていて
自宅で稼いでいたようです。祖父が神主をしていたので、それなりの人脈もあったのでしょう。

母は無事に男の子を出産しました。私より7歳年下になる弟です。
母の夫も(私がパパと呼んでいた人)ボーリング(プロボウラーではありません土木系の仕事です)
の仕事をしており、わりと稼いでいて母は幸せそうでした。
産後1ヶ月あまり祖母の家に居た間は、私も毎日のように遊びに行っていました。
かわいい弟と、優しい母と過ごした1ヶ月はとても楽しかった。
でもまた別れはやって来ました。

母が東京へ帰る日、母を見送りながら決して泣かないと決めていたのに
走り出す電車を前に、やっぱり泣いてしまいました。
「ごめんね、かすみ!また来るから頑張って勉強するんだよ」と言う
母の言葉を聞きながら、泣きじゃくり返事が出来ない私でした。





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