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流れ行く月日の中で [ふたりぽっち序章2]

私は、母と別れて父と姉がいる福島へ戻ってきました。
姉は離れていた3年強の間に、凄く大人びた感じになり
とても頼れる存在になっていました。
まるで母のように私を気遣い、寂しさを忘れさせてくれました。
それでも夜になると、母に会いたくなるのは6歳の子にとっては
当たり前のことだと思います。
母を思い、布団の中でよく泣きました。

父は、私の小学校の入学準備品を買い揃えていてくれました。
赤いランドセルを見たときにとても嬉しかったのを覚えています。
入学式には東京から母も来てくれて、私の小学校生活が始まりました。
姉も6年生になり、二人そろって登校していたので何の不安も無く
学校生活をスタートできました。

秋になり、母が出産のために帰ってきました。

隣の町に祖母が引っ越してきていたのです。
私は寂しくなると、いつも祖母の所へ遊びに行っていました。
祖母は樺太(現在のサハリン)育ちです。元々は北海道の旭川に居たのですが
戦時中のゴタゴタで樺太へ行ったようです。そのせいか母も少しだけロシア語を話せます。

祖父は本土に戻ってから神主をしていましたが、52歳で脳溢血のため亡くなりました。
私が生まれる前の事なので、祖父は写真でしか見たことがないです。

母は11人兄弟です。今の少子化時代からは考えられない数です。
子供のころは貧乏で嫌だったといつも話していた母ですが、
祖母は偉い人です。再婚もせずに11人の子供を育てあげた母親の鏡ですね!

29s.jpg

祖母が何をして稼いでいたかというと、それが微妙な話でよくわからない部分があるのですが
拝み屋をしていたと言うんです。今で言ったら占い師みたいなことなのかな?
まるで細木和子さんのようです。その他、針灸の資格も持っていて
自宅で稼いでいたようです。祖父が神主をしていたので、それなりの人脈もあったのでしょう。

母は無事に男の子を出産しました。私より7歳年下になる弟です。
母の夫も(私がパパと呼んでいた人)ボーリング(プロボウラーではありません土木系の仕事です)
の仕事をしており、わりと稼いでいて母は幸せそうでした。
産後1ヶ月あまり祖母の家に居た間は、私も毎日のように遊びに行っていました。
かわいい弟と、優しい母と過ごした1ヶ月はとても楽しかった。
でもまた別れはやって来ました。

母が東京へ帰る日、母を見送りながら決して泣かないと決めていたのに
走り出す電車を前に、やっぱり泣いてしまいました。
「ごめんね、かすみ!また来るから頑張って勉強するんだよ」と言う
母の言葉を聞きながら、泣きじゃくり返事が出来ない私でした。





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