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私の生い立ち [ふたりぽっち序章]

私が生まれたのは、映画フラガールで有名なハワイアンズがある
福島県いわき市のすぐ近くの小さな町だ。
私が住んでいたころは、とにかく自然が美しい所で
温泉街もあり、癒しの場所として今でも
秘湯を探す旅人で賑わっている。

私は料亭の次女として生まれた。
5歳上の姉がいる。
父は商売の才能があったのか、料亭も座敷が6つある大きな店で
そこそこ客つきも良かった。
料亭を開いて5年後には、4つ駅の離れた町に高級クラブを
オープンさせた。
ホステスの女性が8人いる、ダンスホールとバーをかけ合わせたような店だ。
田舎だけれど、興行に来る芸能人も多く
ステージが終わると、家の店に遊びに来た。
私も子供のころにサインを貰ったのを覚えている。

私の母は、19歳で父と結婚した。
昔のことなので貧乏な家に生まれた母は、金持ちの家の父と
政略結婚させられたらしい。父は母より18歳年上だった。
良くわからないが恋愛結婚でないことは確かだ。

父はお酒をあまり飲めない人だった。
よく口癖のように言っていた事がある。
「酒が飲めないから、酒を売れるんだ」と
子供のころには良くわからなかったが、大人になった今では
何となく意味がわかるような気がする。
「飲んだら乗るな、飲むなら売るな」みたいな感じかな?

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父と母の仲睦まじい姿は、あまり記憶に無い。
料亭は人に任せて、新しいお店の方で母もクラブのママとして
店で働いていた。若くて綺麗な母はとても人気者だった。
なにせまだ20代後半な訳だし、お店に立っているだけで
絵になる。
常連のお客さんも出来て、お店が軌道に乗ってきたころから
父と母はよく喧嘩する様になった。
原因は定かでないが、母は父のやきもちだと言っていた。
年が離れていて、まるで娘のような妻が
若い常連客と楽しそうに、話したり踊ったりしている姿を
商売だとわかっていても、我慢できなかったのかもしれない。

父は母をとても愛していたんだと思う。

私が大人になり、父が晩年を迎えるころ
私を母の名でよく呼んだことを考えると、愛情の深さを理解できる。

私が3歳になるころ、母は父の暴力に耐えかねて家を出た。
その少し後、母が住む東京へ引き取られたが
そこには母よりも10歳近くも若い男性がいた。
母は、「今日から、かすみのパパになる人だよ」といい
何も知らない私は、その人をパパと呼ぶ新たな東京での生活が始まった。













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