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姉の家出 [ふたりぽっち序章3]

東京で楽しい時間を過ごし、母に買って貰ったピンクのワンピースを
着て福島に戻ってきました。
このワンピースは私のお気に入りになり、シーズンが終わっても
大切に箪笥にしまっておいたのですが、翌年の夏には何処を探しても
見つかりませんでした。
どうやら義母が捨ててしまったようです。
私が嬉しそうに「おかあちゃんに買って貰ったんだ~」と何度も
話をしていたので、気に入らなかったのかも知れません。

秋の運動会の時もお弁当は、前夜に寿司屋から取った出前の海苔巻きでした。
父の仕事柄、お客さんに頼まれて御寿司の出前は取りますが、子供の運動会に
それを持たせる義母に腹立たしさを感じていました。

月に一度のお弁当の時も、ご飯に梅干そして生味噌をのせてあるだけの
おかずのないお弁当に子供ながらショックを受けていました。
恥ずかしくて、とても蓋を開けて食べられませんでした。
そんな事があってから、お弁当の時は姉がパン屋さんでサンドイッチを
買って来てくれる様になり、この事は父の耳にも入って
家ではちょっとした事件になりました。

25s.jpg

義母はよく働く人でしたが、女性らしい感性はあまり持っていなかったように
思います。料理は下手だし、オシャレのセンスも最低で化粧をしたら
お面をかぶっているような真っ白の顔に、口だけ赤い・・・。
父は義母の何処がよくて再婚したのか、私にも姉にも理解出来ませんでした。

お店は父の頑張りでそこそこ繁盛していたので、金銭的な不自由さは
ありませんでしたが、義母との折り合いはあまり良くなかったので
私は父を少しづつ恨むようになり、自分の殻の中に閉じこもることが
多くなって行きました。
義妹の富佐子も可哀想でした。義母は、父と喧嘩して機嫌が悪くなると
いつも富佐子にやつ当たりをしていたので、精神的なストレスなのか
夜尿症になってしまいました。
それは、富佐子が中学生の頃まで続いていたようです。

義母のいじめ、嫌味、言葉の暴力に耐えられない屈辱を味わっても
子供の私には行く場所も無く、ただ我慢するしかありませんでした。

そんな辛い数年が過ぎる中、父と義母の間に女の子が二人生まれました。
私より8歳と10歳年下になる妹です。
義妹の富佐子はいつも子守をさせられていました。
私にとっても異母兄弟ですが、妹にかわりはありません。
小さな富佐子が可哀想で、私も自然と子守を手伝うようになりました。

すこしづつ義母とも打ち解けられるようになった頃
姉が家出をしてしまいました。
姉が16歳、私が11歳の秋のことです。






タグ:姉の家出
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